雑記5 死刑廃止について

今日ニコニコ動画を見ていますと,日弁連死刑廃止宣言案なるものの採択についての記事がありました.私も高校時代ESSでディベートをしていましたから,死刑についての議論は幾度もしてきました.Twitterにもある程度の意見は載せましたが,このことについて私見を述べたいと思います.

死刑廃止について,私は反対です.つまり死刑を維持したほうが良いと考えています.
主な理由はいくつかありますが,そのうちの大きな一つは死刑廃止論者の意見に到底賛成できないからです.
 死刑廃止論者の諸氏が言うには,またそのニコニコ動画の記事を見る限りでは,冤罪による処刑を避けることができず,また死刑執行ののちには取り返しがつかないから死刑を廃止すべきだとのことです.確かに,冤罪によって死刑となれば取り返しはつきません.最悪です.しかし,これは死刑制度そのものの問題点について言及し切れているとは到底思えません.全ての刑罰には冤罪の危険が付きまとうからです.確かに死刑ののちにはもう取り返しはつきません.死んだ命は二度と還ってきませんから.しかし,死刑を仮になくしたとしても冤罪の危険性がなくなるわけではないのです.例えば死刑の代わりに保釈なしの終身刑を採用した場合,罪が確定してからは死ぬまで刑務所の中にて過ごさなくてはなりません.では,刑務所に入り,数十年を過ごし,その段階で冤罪だと判明して釈放したならば,それは取り返しがつくといえるのでしょうか.仮に出所できたとしても,少なくとも名誉,時間は著しく損なわれてしまっています.あるいは親は死んでしまったかもしれません.あるいは兄弟が死んでしまったかもしれません.果たして,死ななければすべては取り返しがつくのでしょうか?(生きていれば丸儲け,などという言葉は少なくとも語られるべきではありません.)死刑廃止を望む皆さんには,ぜひこの点について考えていただきたいと思います.

 私は,ほかにも死刑を存続すべきであると考える理由を持っています.遺族感情,犯罪抑止力などです.しかし,死刑廃止論者の考えがすべて結局は冤罪をいかにしてなくすかという議論に帰結するように,私の意見も又すべて冤罪がないという環境の下でしか成り立ちませんから,ここでほかの論拠について紹介することは何の意味もないでしょう.しいて述べるならば,冤罪の可能性が科学技術の進歩によって格段に減ってきた(例えばDNA鑑定の精度,監視カメラの氾濫など)ということから,少なくとも大多数,それもほぼ99%以上は冤罪ではなくなり,結果そのような1%について議論するよりは,大多数の99%に有効な議論をすべきであり,むしろ遺族感情や犯罪抑止力などについて考慮すれば,冤罪の可能性よりも利益は大きくなる,といった理論を展開することができるでしょうか.

 なんにせよ,私には,死刑廃止論者は皆死刑を廃止すれば冤罪があっても問題ないと言っているようにしか思えません.私たちが議論しなくてはならないのは死刑云々という末節の話ではなくて,冤罪をなくすための努力でしょう.そもそも,人が判断を下す以上間違いがありえるというようなことを日弁連は述べていますが,それはどんな刑罰でも同様です.仮に少ない金額の罰金であったとしても同じです.その意味において,私は死刑廃止について議論をする意味自体を見出すことができないのです.

雑記3 選挙と民主主義

こんばんは.最近とても暑いです.さすがに長そでシャツなんかはもう着ていられないですね.かといってTシャツではあまりにもカジュアルすぎ,ということで襟付きのシャツ(ポロシャツや半袖Yシャツ)などを着るようにしています.それにジャージなんかもいいです.

 

さて,本日書きたいのは選挙のことです.この前の参院選投票率は,東京新聞によれば,

 七月十日に投開票が行われた参院選投票率は54.70%だった。前回三年前の52.61%を上回ったものの過去四番目の低さである。

東京新聞,2016年7月21日

 とのことです.

これをみて,「問題なし」と思う人はいないでしょう.投票率が54%程度ということは,乱暴に言ってしまえば日本の投票権を持つ人口のうち半分程度は投票に行かなかったということです.見れば明らかですが,これは大問題です.これは,私の持論なのですが,

民主主義の上に胡坐をかいている者は,いつ民主主義に裏切られても文句は言えない.

のです.

どういうことか.第1次世界大戦終戦後のドイツを見れば簡単にわかります.ドイツはヴァイマール憲法を制定し,民主主義を取り入れたものの,ヴェルサイユ条約によって課せられた莫大な賠償金のため経済が停滞していました.そこで,国を引っ張る強い指導者を欲しました.そこで台頭したのが悪名高きアドルフ・ヒトラーです.最初は民主的に物事を進めていましたが(ヴァイマール憲法もあるから),結局は全権委任法を成立させ,きわめて民主的に独裁政権を成立させました.

そのあと何が起こったかはもはや語る必要すらないでしょう.経済成長は著しかったものの,生存圏拡大の考えに則って隣国を侵略し始め,ニュルンベルク法でユダヤ人の公民権をはく奪し,世界を第二次世界大戦へと叩き込みました.

たしかに,ヒトラーが全権委任法を成立させた背景には,SSなどの暴力的背景もあります.しかしながら,何よりも問題だったのは危ない主張をするヒトラーを「強い指導者が欲しい」という一念で,本来保証されるべき民主主義を無視して当選させた国民の政治への無関心さです.いつだって真理は変わらないのです.営々と続いてきた独裁への対抗としてようやく成立した民主主義.それを捨てていいというのは大間違いなのです.

 

さて,現在の日本についてお話ししましょう.今の日本はナチスドイツよりも悪い状況です.投票率の低さというのは,つまり政治に対して意見を述べる機会が少なくなっていることを表します.そこにTVなどの分かりやすく政治を(偏向的に)説明するマスコミが介入し,政治に対して,誰も自分の意見を持つことがなくなります.今は日本は平和です.独裁者も現れてはいません.しかしもし,次現れたらどうするのでしょうか.最悪なのは,まともに投票する人も割を食うということです.投票をしないことにより,国民の半数の意思は潜在的なものとなり,国民全員で政治の方針を決定したいという民主主義の大原則を犯します.そうして多数があおられ,自分の意見を持たずマスコミに持ち上げられる候補に投票する・・・なんていうのもあり得るのです.

 

もしも,明日独裁者が現れたら.私はそれを想い,期日前投票に向かいました.逆に聞きたいのですが,選挙に行った人はいいとして,選挙に行けなかったあなたはなんでいけなかったのですか.今の日本は,期日に投票できない人のために期日前投票も行っていますし,代理者投票なるものもあるそうです.ここまで制度を整えてもらって,なぜ行かないのですか.疲れているなんて言うのは言い訳になりません.どうしてもいけない理由を除き,選挙にはいかなければなりません.極論,選挙に行かない人は死刑になってもいいくらいです.この国の一員として,将来を決定することを放棄した人間に,のうのうと生きてもらう必要などない.生きているだけでガンなのです.

 

民主主義の上に胡坐をかいている者は,いつ民主主義に裏切られても文句は言えない.私たちは,せっかく与えられている民主主義を守るため,投票に行かなくてはならないのです.

雑記2 自殺についての考察

自殺 Suicideと聞くと,あなたはどのような印象を受けるでしょうか.まずはここから議論を始めることにします.きっとたいていの人の考えは,

 ・自殺は絶対的にいかなる状況でもすべきでない

 ・生きていればそれでよい

 ・(所属する宗教の理由から)許される行為ではない

 ・自殺なんて言うものは臆病者のすることだ

といったようなものでしょう.

 

まずは自殺について論じるときに,以上のような論駁が生じるときに思うことを述べたいと思います.上の論駁は,確かに一般的には正しい事実です.ただし,私たちは実際に自殺を考えている人,または自殺をした人が「一般的」ではなかったことに注意すべきです.一般的,というとなにか誤解が生じるかもしれませんから別の言葉で述べると,自殺を考える時点で,その人は「正常ではない」ということです.これは精神疾患が云々ということではなくて,その人を取り巻く環境,およびその人の内面が「正常ではない」ということです.

 

「人は,余裕の有る時だけ偉そうなことが言える」.これは私の座右の銘なのですが,まさにその通りなのです.上で示したような論駁は,「余裕がある」からこそ言える事なのです.その人が何に追い詰められているかはわかりません.いじめ,借金,リストラ,学業不振,人間関係,などなど.理由は多々ありますが,彼らは確かにその理由によって追い詰められているのです.そういった状況の人々に,一般論をぶつけるのは言葉の暴力以外の何物でもありません.

 

それでも死んだらすべてが終わってしまうではないか.そういう声が聞こえてきそうです.この反駁は少しの未確定事項により議論が構築されています.つまり,「生きていれば必ずいいことがある」ということです.確かに,私たちは生きていればいいことに遭遇することはあります.しかし,自殺を考える人というのは,もはやいいことを受容するための能力を失っている場合が多いです.というより,いいことがあっても,ほかの悪いことですべて塗りつくされてしまうのです.

 

私も何度か自殺を考えたことがあります.しかし,今私は死んでいません.結局それは私が怖気づいたからです.正直に告白すれば,私は臆病者なのでしょう.死のうにも死ねず,といった状況です.私は当時,相当大きな問題を抱えていました(法的に云々があった).それでも死ねなかったのです.その死を考えたのは中学校の頃でした.「大人にもならず,子供のうちの苦しみなんて小さいものなんだから」という本質をとらえきれていない反駁は無視します.少なくともその段階までにしか成長できていない人にとって,その問題はとても大きな問題なのです.苦しみは人と比べることはできないというのは人口に膾炙した言葉ですが,この事実を理解する必要があります.

 

それでは,私の自殺についての意見を述べたいと思います.私は,自殺はその人がそうと決めたならば許容されるべきであると考えます.自殺を考えたこともないような人には理解できないでしょうが,死を決意するのには相当な覚悟がいります.その覚悟を終え,ついに実行するというその段に来たならば,もはやその人ではない我々に解決法はないのです.死とは最後の救いです.ALISON兄貴という人が投稿した「宇宙の死を見た不老不死」には,「死こそは最後の救済,最も尊い救済手段」といったような記述がみられます.これはまさにその通りです.その人が,最後に救いを得んがため死に縋ったのならば,私たちは,死にゆく人の最後の願いとして,それを受け止めなくてはならないのです.死を決意した人に,私たちは何も言ってはいけません.その尊い決意を,泥にまみれさせてはいけないのです.

 

最後に,自殺を考えている人に少しだけ言葉を送りたいと思います.私は自殺をするななどという無責任なことは言いません.決意をしたならば,私はそれを尊重します.ただし,もしも心残りがあるならばそれを解決してから逝きましょう.いじめられているのなら,いじめっ子を殺しましょう.お金に困って何もできなくなっていたのならば,親と縁を切って,好きなだけ借金をして,貪食し,女体をむさぼり,そして逝きましょう.

雑記1 イギリスのEU離脱動議に思うこと

初めまして.しばらくはTwitterで戯言を垂れ流していましたが,文字数制限によって言いたいことが言えないということ,またTwitter上TLを汚す心配があるということでこのような形で自分の意見を書くためのブログを作った次第です.

 

さて,今日は2016年6月25日の午前2時.昨日,6月24日はことと次第によっては歴史の教科書に永く残りうる出来事が起こった日として残るかもしれません.長年議論のあった,イギリスのEU離脱がついに国民投票で可決されたのです.このポストでは,それについていくつかの思ったことを書き連ねたく思います.どこかで見たことのある意見だなあ,と思うことはあるかもしれませんが,どうしてもTL上を流れる情報を見てしまったので,それは致し方なきこととしてご容赦いただければと思います.

 

まず初めに,この件についての私の立場を明確にしておきたいと思います.私は,イギリスのEU離脱に対して,反対です.その論拠は5つです.第一にイギリスの行動はリアリズム的動議であること,第二にこれによってEUが弱体化することが考えられること,第三に世界各国へ悪い影響をもたらす判断であったこと,そして第四に難民の受け入れ先が一つ失われたことです.

 

まずは第1の論点,イギリスの行動がリアリズム的動議であるという点についてです.これについては齧りたての知識で,間違いがあるかもしれませんがご容赦いただければと.リアリズムとは,国際機関の価値を低い(つまり影響力が低い)ものであると見做し,各国の利益の最大化を至上命題として考え,勢力均衡や覇権維持によって平和を保とうとする考え方です.現代社会においては,いうまでもなく,国連の登場やグローバル化の進展によって,リアリズムの考え方は好かれない傾向にあるといえます.イギリスはこの点を真っ向から無視したのです.私自身がTwitterで,

国際協調主義が主流である今日の国際社会で,EUから離脱をしようとする動きを見せたイギリスは,世界の協調を乱す悪の国家だ.

と述べましたが,私はこの意見は間違っていないと思います.日本人的な横に倣えという考えであるという論駁は理解できますが,少なくとも,イギリスの動きは大国間の連携の動きを大きく揺るがした問題行動であると断言せざるを得ません.この揺るぎは続いてドミノ理論に則り様々な場所,さまざまな関係に対して波及することでしょう.

 

第2の論点,EUの弱体化.これはこれ自体に問題が存在するというよりは,さまざまな問題の原因となりうるという意味で問題です.EUには,とりあえずEUに加盟することによって経済を成り立たせたいという思惑の小国が存在します.EUのGDPに対して,イギリスの占める割合は14%というきわめて大きいものです.この離脱により,EU経済は大打撃を受けることになります.それによって,先にあげたような思惑を持つ小国たちにも大きな打撃が向かいます.これにより今まであったEUの権威は弱体化し,小国たちは自分たちの権益を確保したいがためにかつてそうであったようにリアリズム主義で行動をするようになり,戦争誘発の原因となりえます.

 

第3の論点,世界各国へ悪影響を及ぼすこと.第1,第2の論点で触れたように,この離脱によって世界各国は悪影響をこうむります.EUに所属する小国たちは自分の権益保持のためにリアリズムへ走り,イギリスの動きに同調した各国もまた,自分たちの権益維持のためにブロック経済主義へ走り,そして世界は第2次世界大戦以前に戻るのです.

 

第4の論点.これは感情論的には一番許しがたい問題です.ノブレスオブリージュという言葉があります.余裕のあるものは,貧困する者に対して援助をしなくてはならない,という考え方です.イギリスは,リアリズムに走り,自分たち絵の利益を至上とするがゆえに,紛争の被害者である難民を受け入れないという最悪の決断をしたのです.EUの規約には難民受け入れはなされるべきとの条文があるので今まではイヤイヤとはいえしていたのですが,EU離脱を受け,もはや難民受け入れについて何か規則は存在しません.このクソッタレのブリカスめ!貴様らの私腹を肥やす暇があれば一人でも多く難民を受け入れろ屑どもが!

 

以上の4つの論拠により,私はイギリスのEU離脱に反対します.これも又私がツイートしたことですが,

EU残留について,残留すべきでないと考えて投票したイギリス国民諸氏に謹んで言上仕る. 諸君のあるいは深く考え,あるいは波に乗り,あるいは何も考えずに投票した結果,世界は混迷に突き落とされた.諸君に置かれては今更ながら,自分の投票した結果について深く考えてほしい.

ということです.まさかここまでイギリス国民の半分程度がバカだとは思っていませんでした.彼らは自己利益至上主義に取りつかれた,大局観を持たぬ,凡愚の市民により,世界は向かってはいけない方向へ向かっていくこととなるでしょう.こうして,この状況に絶望した人々がまた圧倒的指導力を持つ独裁者を求め,そうして第3次世界大戦が現実のものとなるのです.イギリスよ,貴様の選択はまさしく第3次世界大戦への第一歩だ.もしも戦争が起こったならば,貴様こそが,その戦争の引き金なのだ.忘れるな.